ありがとうサイノス
平成20年10月。コルサがばろんの元を離れていった。
コルサを失って、走る意欲も同時に失った。走り屋をやめた。
・・・はずだった。
しかし、新しい翼が再びばろんに走る喜びと勇気をくれた。
それがサイノスだった。
コルサと同じ白いボディ、同じシャシー、同じエンジン。
内装はコルサよかちょっぴり豪華。シートのホールド感もある。
コルサが生まれ変わってばろんの元に戻ってきた気がしてすごく嬉しかった事を今でも鮮明に思い起こす事ができる。
サイノスを納車し、はじめて運転した時に感じたあの感動は一言で言うなら
「翼を得た」という言葉が一番しっくりくる。
白く美しく輝くボディにシャープな眼差し。
街中を自由に駆ける毎に目の前がぱあっと明るくなるような楽しい時間。
それはばろんにとって翼に他ならなかった。
10月の秋空が真夏のようにまぶしかったのはサイノスがばろんを自由へと導いてくれたからだろう。
その翼が手に入る前の話。
走り屋はもうやらない。
コルサがいなくなってから決めた事。
コルサを失ったあの時。
なまじ怪我をしなかった事がかえって恐怖となってばろんを襲った。
もしあの時、足がなくなっていたら・・・
もしあの時、体が不自由になっていたら・・
それを思うととてつもなく怖くなった。恐怖に屈していた。
あれほど好きだった「走り屋としての自分」が音を立てて崩れ、ただの臆病者になりかわってしまっていた。
ATを買って自らを戒め、走り屋としての自分を封印してしまおうと思った。
唯一の生きがいである走り屋としての自分を封印してしまう事がばろんにとって何を意味するのかを知っていながら・・・。
人生に目標がない人間は何をするために生きているのか?
目標のない人間は一生の間に誰かに何を残せる?何も残せやしない。
誰にも何も残せやしない生きがいのない人間なんて生きている資格なんてあるわけがない。
ばろんが心の奥底でいつも思っていた事。
走り屋としての目標を諦めてしまったばろんにとってそれらの言葉は自分で自分の首を絞めていた。
これからどうやって人生を生きていけばいいのか・・・。
臆病者として、ちっぽけでうだつのあがらない つまらない一生を終えて死んでいくのか・・・。
否!
何も走り屋をやめるからと言って車好きをやめる事はない!
走る事以外にも車との付き合い方はたくさんある。
いっそ車のドレスアップに全力を注いでみよう。
走り屋としての目標を封印した今、ばろんができる事は走りではなく、車との別の付き合い方であるという結論に。
走るための車は「クルマ」、それ以外の車は「車」と使い分けていたばろんがサイノスに求めたのは後者の「車」としての付き合い方だった。
走りをやめた事で真っ暗だったばろんに、目標になりうる小さな生きていくための光が宿った気がした。
その葛藤の後でサイノスを手にいれた。
サイノスは、すぐに生きていくための導(しるべ)を与えてくれた。
目標になりうる小さな生きていくための光は、サイノスを見る度にどんどん大きな光に変わって、心の外にあふれ出るほど輝き始めた。
11月になった。秋といえども冬間近。空の色はもうどんよりとした冬空に変わっていたように記憶している。
そんなどんよりとした空の下、ばろんはサイノスをカスタムするべく色々と計画を始めた。
エアロを探す。
中古でリアバンパーを落札。
サイドステップは他の車のものを加工する事に決め、安いパーツを探してまわった。
フロントエアロは新品で買ってきた。
そしてかねてよりつけてみたかったGTウィングはコルサの廃車処理、サイノス購入の手助けをしてくれた恩ある走り屋の先輩が譲ってくれた。
肌寒い11月の夜の真っ只中に公園でフロントのエアロを塗装して警察に2回も声をかけられた。
警察やら犬の散歩をしている人たちの目が気になるから会社のアパートの空き部屋にビニールを敷き詰めて塗装ブースを自作して部屋の中で缶スプレーを吹いていた。
缶スプレーが出すとんでもない有機臭に農業用のマスクを装着して塗装していたのは今思い出してもむちゃくちゃだとしか言いようがない。同居人には迷惑をかけた記憶があるが、同居人の実家は塗装屋さんらしくそれほど気にもとめなかった記憶もある。
そして・・・
フルノーマルのサイノスがエアロとGTウィングをあつらえてこの世に降り立った。
出会った頃とは随分印象が違う。
レグルスの前後バンパー、180SXのサイドステップを加工してつけた自家製サイノス用サイドステップ、ハイマウント&車幅ギリギリのとんでもないGTウィング、そして15インチの美しいホワイトスポークホイール。
車を手に入れて1ヶ月でここまで手をいれた車は初めてだった。
その後、マフラーをワンオフ制作する事を決意。
それを皮切りにサイノスがばろんにとって「車」から「クルマ」に変わろうとしていた。
ワンオフマフラーを装着したサイノス。それはばろんとサイノスにとって転機ともいえるチューニングだった。
マフラーを装着したサイノスのエキゾーストノートがばろんの心を揺さぶる。
心地の良い音を奏でながら疾走するサイノスが封印していたはずの走り屋の心を呼び起こしてくれた。
心の封印をこじ開ける事なく、むしろ手を差し伸べてくれるようにして・・・。
そこからサイノスの「クルマ」としての本領が発揮される事になる。
走りを追求するためにサイノスはばろんにたくさんの要求をした。
カーボンメタルブレーキパッド、スリットローター、スポーツリアシュー、ワイドトレッドスペーサー、ホイールを15インチから14インチへ落とし軽量化、そして車高調。
とどまる事を知らなかった。とめられるはずもなかった。
心臓の高ぶりと呼応するサイノスの心地よいエキゾーストノート。
そして吸い付くようにコーナリングするアドバンネオバとサスペンションと軽量のボディが最高の気分をばろんに味あわせてくれた。
走る事の喜び。生きている実感。駆け出す衝動は抑えられなかった。
サイノスは「車」としてではなく、「クルマ」としてばろんの心の封印の鎖を断ち切るべく現れてくれたのだ。
それでも・・・
コーナーに進入するたびコルサのことが脳裏に浮かぶ。
サイノスもコルサみたいな事になるのではないか・・・。
本当にこのスピードでコーナーに突っ込んでもサイノスはクリアしてくれるのか?
フルブレーキングをしても挙動を乱すことなく安定した制動力が得られるのか?
コルサの時は無事で済んだが次に何かあった時はただでは済まないかもしれないのに本当にこの速度で大丈夫なのか?
あの時の恐怖が ぶり返す。
コーナーがとてつもなく怖い。ブレーキングが甘くなり、恐怖でステアリングを一気に切り込めない。
それでもサイノスは、そんなばろんにずっと連れ添って走ってくれた。
何日も何ヶ月も恐怖と格闘するばろんをサイノスはずっと支えてくれた。
少しずつ、少しずつ恐怖は消えていった。徐々にコーナー手前で思い切りの良いブレーキングができるようになってきていた。
それからというもの、サイノスを運転しているのにたまにコルサを運転しているかのような錯覚によく陥るようになった。
世界にはたくさんの車があるが、ばろんのサイノスほど誠心誠意尽くしてくれるクルマがあるだろうか。
しかしばろんはMR2に乗る。
サイノスで成し得なかった事をやり遂げるために。
不思議とサイノスを手放すのは寂しくない。
それはきっとサイノスが知っていたから。
ばろんがいずれサイノスを踏み台にしてサイノスを手放し、MR2に乗る事を知っていたから。だと勝手に思ってる。
「しっかりやれよ。MR2。」とエールを贈っているに違いないと。
たくさんの思い出が詰まったばろんの翼。サイノスEL52。
コルサを失った悲しみも、コーナーでよぎる恐怖心も、気分が沈んだ時も、心の暗闇も、一緒に走る喜びもすべて受け止めてくれたサイノス。
サイノスを決して生涯忘れはしない。どんな事があっても。おっさんになってもじじいになっても死んだって忘れない。
決して色あせる事の無い大切な思い出として。
ありがとうサイノス。
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